「1929年」

8月9日パリバショック10周年の日。
「不確実性の時代」の著者、ガルブレイス教授の「大暴落1929」を読み返している。
結構記憶に残る一節が多い。

「ブームの渦中にある所有者が財産に求める唯一の見返りは値上がりだった。
現実に需要があればいずれ必ず満たされるのが、資本主義の非凡なところだ」。

「欲しくもない配当など気にせず、現金も用意せずに投機に打ち込めるようウォール街が準備した仕組みは、
実によく出来ていて芸術品と言ってもいいほどだった。
しかし、証券会社はこの仕組みを表立って自慢する訳にはいかなかった。
その目的は投資家に用立てして投機を後押しすることだったからだ。
1920年代前半のブローカーズローン(信用取引で買った株を担保に差し入れるローン)の残高は10~15億ドル。
1926年初めには25億ドル。
27年末には34億ドル。
28年6月には40億ドル、11月には50億ドル、年末には60億ドルとなっていた」。

「1929年のウォール街に夏休みはなかった。
投資信託が続々と設立されるのと同時に市場は過去最高の活況。
夏の間だけで株価は25%も上昇した。
ブローカーズローン残高は70億ドルに達したが不安は打ち消された。
株価の上昇が企業収益見通しに裏付けられているならば心配ないという市場の展望が背景だ。
こういう時期の常として投資家が望むのは、うるさい懐疑の声を黙らせ、大丈夫だと何度も言ってもらうことだった。
秋にはイェール大学のフィッシャー教授が株価は永遠に続く高原状態に達したとまでコメントした。
アメリカの繁栄をぶち壊す発言は忌み嫌われたのである。
数百万人が判断した結果を否定できる全知全能の人間はどこにもいないというのである。
ニューヨークタイムズは最後の日は来た、と何度も書いていた。
結果的に株を巡る妄想には捉われていなかったということだ」。

「1929年の夏は市場は報道だけでなく文化をも独占した。
株の物知りが予言者扱いされるようになったのだ。
彼らの発言は金言となった。
しかし、市場についてあちこちで話されることに多くは往々にして実態とかけ離れたことばかりだ。
話している方も聞く方もその会社の価値などあまり知らないし、知らないということも知らない。
知恵というのはそんなもので、大半は誰々がどこでどう言ったという受け売りなのだ」。

「1929年夏の素晴らしいセールストーク。
大災害が起きてNYのような大都会で小さな井戸が一つだけ残されたと考えてみてください。
そこからくみ上げるバケツ一杯の水は1ドル、100ドル、1000ドル、いや1万ドル以上の価値があるでしょう。
この井戸を持っていればNYの富をすべて持つことになるのです。
因みに、水道持ち株会社の株を勧めるためのトークがこれだった。
1929年夏の株式市場はアメリカ人にとって磁石のような存在だった。
しかそし実は多くのアメリカ人にとって株式市場は手の届かないところにある薄気味悪い場所でもあった。
まして信用買いなどモンテカルロのカジノで儲けるのと同じくらい無縁のことだった」。

改めて慧眼という印象で面白い。
2018年の夏の成果になろうか。

(櫻井)。

 

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