「除目」
4月新年度。
年次が上がり、階級があがり、
そしていつものように「除目」を通過して時間が経っていきます。
この繰り返しは相場もたぶん一緒なのでしょう。
世相に囲まれた季節感と相場の展開の反復。
毎年同じような風景を見ながら、少しづつの変化があるとはいえ、
大学の老教授たちの講義のような解釈に対する既視感はなかなか消えません。
本来は、日々新しくなる相場の筈なのに不思議なことに既視感にさいなまれることばかり。
そして相場解釈は、未来へ向かってではなく過去に饒舌になるばかり。
日々移ろい変化の渦中にいるようで、実は釈迦の手のひらを回っているばかり。
市場解釈がこんな状況では相場はきっと飽きられてしまうでしょう。
ポジであれネガであれ「驚き」を求めているのが市場。
確かに日々の政治経済動向によって解釈は猫の目のように変わりますが、
それは驚きでもなんでもないもの。
本来の驚きこそが、相場の流れを醸し出してくれ心理を演出してくれるもの。
櫻の花が散れば銀杏の若葉が芽吹くのは自然界の掟ですが、
相場はそう簡単には秩序を保てません。
時折訪れるイレギュラーな出来事こそ、相場心理の深層に刻まれてきました。
下げの記憶、上げの記憶。
どちらかを期待して、右往左往しているのが株式市場。
下げは早く上げはじっくりというのは実は地球の引力のなせる自然界のワザなのか知れません。
(櫻井)。
