「自己分析と解析」

「自己分析と解析」

昨日ある上場企業のトップと話していた。
この企業は競馬のAI予想ツールなども手掛けている。
このツールを作る際に当然データの分析解析などを数多く行ってきたという。
競馬は投機から投資の世界になるかも知れないとも伺った。
でもそれだけではなく「自己分析」も加えてみたら確度はさらに上がったという話。
「相場のクセを知る」というのは何年も言い続けてきた。
銘柄、値動きなどのクセは銘柄ごとに違うからだ。
それを頭と体で感じることが重要だということ。
しかし同じクセでも「自分の投資傾向」というのは寝耳に水。
「自分の投資を振り返り分析し解析する。
それも成功体験でなく失敗体験こと未来の肥料」。
「だから儲かった」は得てして「安い時にタイミングよく買ったから」というへ返事が多い。
しかし「なぜ負けたのか」のは振り返りたくないし、ましてや傷口に塩を塗りたくなどない。
それでもこれは重要なことだ。
そして・・・。
競馬は投機なのか、投資なのか。
今は投機かも知れない。
それでも将来は違った構図になる可能性はある。
一方、株は投機なのか投資なのか。
これも結構微妙だ。
言えるのは最近は「株で全財産を失った人。競馬で全財産を失った人」という話を聞かなくなったこと。
でも「FXですべて消えた。ビットコインでなくなった」は時折耳にする。
共通するのはレバレッジとか先物という概念。
元金の20倍以上の投資は投機だし、先物はあくまで先物で原資産が手元にある訳ではない」。
「気を付けようレバレッジと先物」というのも標語にした方が良いかも知れない。

今月の日経新聞朝刊「私の履歴書」は清水建設会長の宮本洋一氏。
なぜゼネコンからの登場なのかは不明だが、今朝の一節は残った。
「(東大で)全共闘の学生の話を聞く機会は何度もあったが、彼らは『体制を壊す』というばかり。
『壊した後に何を作るか』という議論を一切しなかった」。
これは結構響いた。
「不毛の議論が大好きで結論というか未来像のない展開」。
これらが継続されて今があるということになる。
国会の否定して辞任を迫るだけの論議。
あるいは企業の会議でも誰かを悪者にして自分を守る議論。
投資の世界でも売るものを罵倒し、売る材料を見つけ出す傾向。
結論のでない海外に材料を求めて嘆く姿ではなく、どうすれば前に上に進めるのか。
「アレが悪い、コレが悪い」で対案のない投資解釈や議論。
その原点はココだったのかも知れないし、江戸の300年だったのかも知れない。
舶来信仰は明治の産物だろう。
それでも「壊した後に何を作るか」は重要だ。
団塊の人たちにとっては昭和1ケタが鬱陶しい時代が続いた。
昭和1ケタの人たちにとっては大正や明治時代の人々が大きく立ちはだかっていた。
それでも「我が世の春」となったかと思えば時代は何か繰り返しの様相。
次は第二次ベビーブーマーが建設的になって欲しいところだが・・・。

今朝、面白い経験をしたのはあるメガバンクの支店の窓口。
お金を振り込む用事があって、それこそ久しぶりに訪れた。
ATMのところの人に振り込み用紙を見せたら「これは窓口よりもATMの方が手数料が安いですよ。
ご自分でお手続きできますから、ATMにどうぞ」。
とはいえそのメガバンクに口座はないし、キャッシュカードも当然持っていない。
いくら違うのか聞いてみたら「150円です」。
でも振込用紙には当該銀行の本支店からの振り込みは手数料無料と読める文言があった。
「それくらいなら面倒なので窓口でやってもらいます」。
そう言って窓口にいった。
職員さんはよくよく振込用紙を見て「これ手数料かかりませんね」。
銀行無誤謬は身に染みているようだが、意外とそうでもないらしい。
というか、結構いい加減という印象だった。

(櫻井)。

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