訳あって古銭・切手等関連の「キュリオ」という雑誌を眺めていたら、こんな一文があった。
「割れ継ぎされた補修品で1万円の焼き物と割れやヒビのない完器の1万円の焼き物。
どちらを選ぶのが正解かというと、補修品の方だという。
割れ継ぎがあって1万円なら、完器ならばそれなりの価値がある筈というのが理由。
完器であっても1万円でしかないのなら取るに足らないシロモノだ。
安物の焼き物を何十個求めても鑑識眼が向上すると筈はなく所詮三流の収集家で終ってしまう。
古銭も一緒。
欠点のある古銭を毛嫌いする人で一人前の収集家になった人はいないという。
昔の古銭家は美醜にはこだわらなかった。
穴あき銭の場合は割れ継ぎがあってもヒビがあっても入手に努め、大切に扱ったもの。
穴あき銭はワビサビの世界。
とっつきにくいけど奥が深く、一度魅力に取り憑かれるとトコトンのめり込んでしまう」。
これはひょっとすると株式も一緒かも知れない。
誰もが優秀と認める株は確かに一流かも知れない。
でも減益とか欠損という株が一流でないとは言えないこともある。
もし、大幅増益の株と大幅減益の株価が一緒だったらどちらを選ぶかというのは結構悩ましい問題だ。
「儲けていてもそこまで」なのか「儲かっていなくてもそこにいる」。
この差は大きいのかも知れない。
キレイなものだけを求める姿勢でなく、見にくいものにも未来はある。
その時間軸が株と陶器や古銭の違いかも知れない。
「同じような材料が出ても、ファンタセメンタルズに大きな変化がなくても、上げるときも下げるときもある。
それが相場」。
この言葉の持つ意味も大きい。
(櫻井)。
