「アタマとシッポ」
ビフォアバブルの後期高齢者がアフターアベノミクス若年世代が語れる相場。
そう割り切った方がよいのかもしれない。
変な恐怖心にまみれた現役世代よりも正しい見方ができるような気がする。
たい焼のアタマとシッポが役に立つような印象。
日経元旦長官の経営者アンケート。
見出し「高値25000円以上」。
一番人気はソニー、2位がトヨタ。
株式新聞の見出しは「高値予想27000円多数」。
そういえば・・・。
今年の見通しは「30800円だった」。
以下昨年大納会と今年の大発会のあいさつ。
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令和元年の株式劇場「舞納め」の大納会。
問われたのは「覚悟と勇気」の1年でした。
情報伝達手段の発達が地球を小さくし、海外動向に敏感になってきた時代。
それにしても北米大陸やユーラシア大陸など海の向こうの一挙手一投足に過敏に反応する相場。
当然ではあるのですが、地に足がついていない相場観の横行はただ手の筋肉の反射神経を鍛えるだけの代物。
お医者さんが患者さんに触れず、目も合わせず、ただパソコンに向かう姿勢みたいなもの。
それで身体の全体像という診断や治療ができるのかというと結構微妙でしょう。
ヒトを見ないから局所に拘り全身の未来を見逃していることは株式市場も同様。
「気をつけましょう」なんて覚悟のない言葉の横行が相場の正しい方向を歪めているような気がします。
そして、局部的な悪材料にだけ反応することが市場から勇気をなくしているのでしょう。
しばしば間違える専門家に頼らす、自分を礎に自分を信じること。
他力で右往左往するのではなく自分の頭で考えて自分の体で感じること。
これが今後も求められることは間違いありません。
まさに「投資家のプライド」です。
「勘と度胸」の従来的相場観を軽く見る向きもありますが、相場は欲望と心理の集積場。
機械ではなく人としての「勘=記憶力」と「度胸=推理判断力」の可能性に未来を見つけていきたいものです。
相場は本来の自由奔放さのなかで形成しが育まれるもの。
「かくあらねばならない」とか「過去の経験則の延長戦上では」なんて固い頭では相場の想像や創造なんてできません。
大きな白いキャンパスに自由に絵を描くこと。
そうすれば相場はますます大きくなっていくことでしょう。
いい加減で無責任な市場関係者の意見に従うのではなく、自分で感じた疑念やシナリオを重視しましょう。
「相場は明日もある。
そして未来永劫に繰り返し続くもの」。
これを忘れないことこそ大切です。
前人未到の未体験の高値への階はかならず架けられていると信じたいものです。
今年1年お読みいただきありがとうございました。
来る子年も「元気の出る相場観」を提供していきたいと考えています。
ちょっと小耳にした弱気の市場関係者のコメント。
「今年は間違えました。反省しています」。
そして「来年の日経平均なんてわかるはずがない」。
正直なコメントだ。
毎年年末になると行われる年末アンケート。
高値は何月で何円、安値は何月で何円」。
聞く方も見る方も「そんなに明確にわかる訳がない」と思っている。
それでも飽きずに毎年行われるこの手のアンケート。
ある意味演じ手も観客もその虚しさをわかりながら、それでも見たり聞いたりする。
そう考えると虚々実々の面白い世界だ。
メールでの記事。
「マーケット番組を見ていましたら、今年、年内20000円割れは確実だ!と言っていた○○さん。
来年は何と日経平均32000円もあり得ると!(笑)
その後、他の市場関係者も前のめりで気合十分で話してらっしゃいました。
両者ともこの気持ちの振れ幅の大きさが一番ダメなのだと分からないのでしょうか(笑)。
勝ち組のお方って、気持ちがブレません。
勝っても負けても大騒ぎしません。
ダメな人って、今年の相場でよく分かりましたが、
その都度、その都度、上を下への大騒ぎです(笑)。
まるで気持ちが、日経レバと日経ダブルベアしかないかのような反応。
それじゃバクチと同じです(笑)」。
鋭い分析だった。
謹賀新年。
庚子(かのえね)の年の株式劇場も幕開け。
225採用銘柄のPER14.36倍(EPS1647円)からのスタートです。
昨年の過去最大値1795円(7月25日)からは100円下。
まずはこの取戻しが課題です。
そして10年債利回りは▲0.025%。
こちらも水面下からの出初め式。
東証1部の時価訴額665兆円をどこまで増やせるかが課題でしょう。
2019年の日経平均の上昇率は18%。
年間上昇率は前年比20%が限界というアノマリー通りの展開でした。
でも第5次産業革命の歩みは一歩ずつ進んでいます。
企業の頑張りが人々の暮らしを進化させるという動きは今年も続くことでしょう。
日経元旦朝刊の特集は「逆境の資本主義」。
そして見出しは「さびつく成長の公式」。
「競争・革新・新たな挑戦」。
引用されたのは英歴史学者ニーアル・ファガーソンの「資本主義はそのたびに復活した」。
解釈は「イノベーションを促し、経済成長を続けていくには自由競争しか解がない」。
求められるのは「白いキャンバスに自由奔放に絵を描くこと」。
従来の延長線上に解はない筈です。
そうではなく「伝統と進歩あるいは革新」。
例えばJSRはゴムから半導体、そしてバイオや量子に未来を求めています。
昭和電工は個性的事業の発展をキーワードに「黒鉛電極やアルミ、半導体」の世界を模索。
ニッチ・トップを目指して日立化成の買収という純資産の倍の買収を決めました。
そうでなければ「世界で戦えない」。
この必死な思いこそが地に足のついた日本企業の未来につながる筈です。
資本主義が逆境なのは「市場至上主義」の逆境。
ものつくりを卑下し、投資効果だけを狙った経営の衰退という意味と考えるべきかも知れません。
米国大企業トップのラウンドテーブルが「株主重視」のウェイトを下げたのが昨年夏。
だから投資ファンドの跳梁跋扈が減ってきたという思考もアリでしょう。
同様に日本の素材技術がなければアジア新興国の産業発展もないというというのが明確になったのが韓国のホワイト国待遇見直しでした。
そう考えると「虚業から実業への復古」の年なのかも知れません。
だから資本主義の逆境なのでしょう。
成長の公式がサビついたのは企業ではなく市場の論理。
年末に大脱走を企てる外国人経営者の存在はもう消えていくことでしょう。
あの資本の論理からの脱却こそ、日本企業にとっては歓迎すべきことだと思います。
この国のことなど全く考えない「銭ゲバ」の衰退は悪いことではありません。
この数十年、市場の知的レベルは上昇し続けました。
IT機器の発展もその役に立って来ました。
しかし知的になり過ぎて、数値と罫線の一人歩きも目立って来ました。
ESGなどお題目。
SDGsも本当に役に立つのかどうか。
財務指標にばかり目を奪われているとROEのようにいつか梯子を外されてしまうかも知れません。
生きている地球、生きている相場、生きている人間を相手にするという原点が見直されるべきでしょう。
相場は上がり続けると「下がらない」という錯覚を招きます。
下げ続けると「上がらない」という誤解を惹起します。
そうではなく相場は鼓動と同じようにリズム。
そして左右上下のハーモニー。
この30有余年、勝ちグセに見放された者の意見ではなく白紙の思考に軍配が上がることでしょう。
株式市場は明日もありますし未来永劫続くもの。
ただしそれでもアクセントを持った値動きに微分されがちです。
本来求められている積分の世界の相場観が今年の相場の守り神様。
頭脳でとらえた数値の世界だけでなく「アレ変だ」という心の感覚を大切に相場に対峙していきたいと考えています。
過去の常識は未来の非常識。
その思考がようやく根付く年になって欲しいものです。
日経「私の履歴書」の1月は証券業界の鈴木会長。
そのコメントは「個人が供給する資金によって米国企業が成長しその果実を値上がり益や配当などで分配する。
そんないい流れができている」。
アメリカで起きている間違いない事実でしょう。
しかし日本の市場は間違いなくそうではありません。
外国人と機関投資家に蹂躙されるがまま。
「もっと自由に」というのが市場の声のように感じられてなりません。
コンプラだけに固執するのではなく「コンプラ遵守の先の自由さ」。
そこに光明はある筈です。
「上がるか下がるか」の二者択一のシステムはFXもビットコインも一緒。
しかしあそこにないものは「国民金融資産の健全な資産の育成と産業資金の安定的供給」。
この必要性がある限り株式市場の未来は決して暗くない筈です。
相場に必要なのも「3W2H」。
何を(WHAT)なぜ(WHY)いつ(WHEN)いくらで(HOW)どれくらい(HOW)売買する」。
「売り買いの別、時間軸、値幅、数量、タイミング」そして「明確な目標」。
でも重要なのは「なぜ」。
そして「何のため」。
この理由をさがす1年なのかも知れません。
SHALL WE DANCE?
軽やかなステップを観衆に披露する時は必ずやってくるでしょう。
合言葉は「SHALL WE TRADING?」。
(櫻井)
